当教室の沿革

帝京大学ちば総合医療センター腎臓内科の歴史は、1986年(昭和61年)に帝京大学市原病院が開院した際における、第三内科学講座の腎グループとしての開講に始まります。教授1名、助教授1名、助手2名の計4名体制で開講しました。

初代の腎内教授は東京大学第一内科(吉利内科)出身の小出桂三先生で、小出先生は1987年(昭和62年)4月より副院長を、1993年(平成5年)4月より院長を退官まで歴任され、腎臓内科のみならず病院全体の牽引者としてご活躍されました(2012年(平成24年)8月ご逝去)。

小出教授の退官後の腎内教授不在期間においては、松崎健三先生(准教授)、桑田昇治先生(准教授)、北村 真先生(病院教授)が、各期間における実質的な責任者としてスタッフを迎え入れ地域医療の礎石として輩出しました。ただ残念ながらスタッフ数は徐々に減少し、2017年4月1日の時点では腎臓内科所属の常勤スタッフが0人となる危機的状況を迎えました。

 

開講31年目に当たる2017年(平成29年)5月、東京大学第一内科(吉利内科)の流れをくむ福島県立医科大学 腎臓高血圧内科より寺脇博之先生が第二代の腎内教授として着任し、帝京大学附属病院からの支援スタッフ(助手)2名の着任を得て、腎臓内科は新体制を迎えました。さらに同年8月、近森病院腎臓内科より吉村和修先生が病院教授として着任(在職:2017年8月21日~2020年3月31日)、常勤4名体制で腎生検・血液透析導入(バスキュラーアクセス造設を含む)に関する膨大な近隣からの需要に対応しました。

2018年度には腹膜透析療法を本格的に開始。

2019年度には新規スタッフの更なる加入とともに、新規予約紹介患者数(急患除く)は年間294名、新規透析導入患者数は年間115名(千葉県内で最多)にまで増加。南総地区、そして千葉県における中心的な医療機関としての実績を順調に重ねていきました。

2020年度には新たに4名(ローテーター含む)の新規スタッフが加入し、当講座は常勤9名体制となりました。2020年の新規透析導入患者数は144名と前年よりさらに増加(千葉県内最多:うち腹膜透析は22名)し、年度内に通算での腹膜透析導入数(他院からの導入のみの依頼は除く)は50名を超えました。年度内である2021年1月には院内クラスターを含むCOVID-19合併血液透析患者に対して、医師・看護師・臨床工学技士・事務系スタッフが一丸となった迅速かつ抜本的な対策の実行により、安全かつ十分な治療実施を行うことが出来ました(対応の具体的内容については第64回日本腎臓学会学術総会にて発表:詳細は『腎と透析』誌に掲載済み)。

2021年度には、4月より日本医科大学リウマチ膠原病内科より着任した小林政司先生が准教授として着任。腎炎と膠原病を専門とする小林先生の加入により、当講座の診療・研究体制は更なる厚みを加えました。なお同年には初めての「帝京ちば育ち」(帝京ちばで2年間の初期研修を修了)の新規スタッフを当講座にお迎えし、エポックメイキングな状況でした。同年度末には、当講座で3年間の内科専攻医研修を終えた上田瞳先生が、帝京ちばの「ベスト専攻医」を受賞されました。なお上田先生は、同学年の中で全国で最多人数の患者を研修登録システム(J-OSLER)に登録する…という快挙も達成されました。

2022年度には、10月になってさらに2名の新規スタッフが加入。当講座の「寺脇体制」以降で初めてお迎えした大学院生である上田瞳先生が、卒業までの期間に医学博士号を取得され、優秀な成績のもと満期退学ではない「大学院卒業」を迎えられました。

 

開講37年目に当たる2023年(令和5年)、寺脇教授が定年まで8年を残した状況で、4月より「古巣」の聖路加国際病院に臨床検査科部長として着任する…という大波乱がありましたが、幸い島根大学医学部腎臓内科より伊藤孝史先生を後任教授、すなわち「第三代の腎内教授」としてお迎えすることが出来ました。さらに2名の新規スタッフの加入も得られ、講座の更なる発展がうかがえる状況です。なお腹膜透析手術を中心とした腎領域インターベンションに関しては、引き続き寺脇客員教授が中心となり対応する体制を堅持しております。

 

今後も、OBを含む皆様のお力をお借りしながら更なる地域貢献に努めたいと、医局員一同思っております。引き続きのご指導ならびにお力添え、何卒よろしくお願いいたします。